時代の節目を垣間見る

私は歴史が好きだ。世界史も悪い成績ではなかったけれどやっぱりドメスティックな人間なので日本の歴史を趣味程度に時々読み返したりしている。
その時、各時代に住まう人々の生きざまを通して、どんな風に社会を見ていたのか想像したりするのが好きだ。
また様々な歴史の転換点で、当事者やその周りの人たちの心の中を想像するのも楽しい。


だから、今の日本と韓国との間で起きている摩擦と関係性の変化はとても興味深いし、これは戦後の歴史の転換点なのかとも思うのだ。スケールの大小はあるにせよ、実際どこぞの小説よりよっぽど面白い(楽しいという訳ではない)。
おそらく両国は、様々なことを通しながら、今後互いに別の道を歩みだしていくのだろう。今は旧来の関係性の「終わりの始まり」ではないだろうか。


私が生まれ育った地はまさに地域の中のコリアタウンであって、実際私の幼少の頃の友達の大多数は在日の韓国・朝鮮系の人たちだった。
20代の頃ソウルに取材に行ったことがあったのだが、近代化された街を少し外れて路地裏に赴いた際、その家々の佇まいがまるで私の生まれ育った場所に似通っていて、激しく驚いたほどだったから。


道歩く人たちの口から朝鮮語が飛び交うのは何も珍しくなく、あちこちの家からは甘い独特の香りを漂わせたりしていたのがごく普通の情景だった。


子供同士では、生まれのルーツや歴史背景など何ら関与することもなければ、差別や偏見などあるはずもない。けれど、歳を重ね互いに成長していく中で次第に彼らから私との距離を測るようになっていった。多分親や地域の薫陶を受けていたのだろう。
人生って生きにくいものなのだろうとその時感じたものだった。

だから、この問題については私個人はやや微妙で複雑な思いで眺めてはいるけれど。



30年前の私は、ACミランの10番を背負う日本人が出てくるなど想像しなかったし、インテルミラノやボルシア・ドルトムントに日本人が加入し活躍するなんて1グラムも考えたことなかった。
今期久保建英君がレアル・マドリーに加入した。もっともいきなりトップチームに入ることは難しいだろうし、ひょっとしたら別チームに移籍するかも知れないけれど、FCポルトに移籍した中島始め、日本人が欧州リーグの主要チームでこれほど活躍するなんて、まるで過去から見ればアナザープラネットである。


私たちが幼少の時、スポーツの代名詞といえば野球だった。
半強制的に地域の野球団に入れられていたし、好き嫌いという次元の話ではなく特別な環境にない限りは野球が皆が楽しめ理解しているものだった。
野球はテレビ放送との親和性も高く、実況と解説の見事な構成がプロ野球中継を球場観戦に勝るとも劣らない確たるものにしていたのだから。


それがどうだろう、たった数十年で人気はサッカーに取って代わられてしまった。
そして私が慣れ親しんだ野球は、実はかなり複雑なルールで運営されるものだと、興味のない息子に教える段になって初めて知った。
ボールさえあればいい、オフサイドルールさえ知ればざっくり理解できる簡易さ。サッカー(フットボール)が世界的に広がり、多くの人たちに愛される球技なのはよくわかる。


剣道も防具などそれなりの出費が必要になるけれど、野球もまた初期投資がそれなりにいる。だから預ける親目線で考えればサッカーは気軽に預けられるものだろう。


野球は競技として無くなる訳ではないと思う。ただかつての絶対的なポジションから普通のスポーツに変わるだけ。多くのスポーツの中の一つの競技になるだけだということだ。


生きること、生き続けることもそれほど悪いものじゃないと思える。

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