素振りから見えるもの part2

一挙動の前進素振り 100回×3セット。
やり方・ペースは各人のやりやすいように。



久しぶりの剣道の稽古でこれとは、、正直今の私にはキツイ。
これがメニューのクライマックスならいざ知らず、まだ中盤だというのだから、この後の稽古のために力は残しておかねばなりません。なぜならそれはすなわち私の「死」を意味しますから。


体育館の横幅いっぱいを使っていかに小刻みに、いかに力を抜いてこなせるか。そのことのみに全神経を集中します。
剣先の風切り音を出すなんてもってのほか、そんな余裕は当然ない(笑)


2セット目ではこの稽古の意義がどこにあるのか、先生に対して批判的な思いも脳裏をかすめますが、3セットからは煩悩も雑念も疲労から自然に消え、ひたすら「無」の境地に近づく旅路のようです。

いかに「楽」ができるか、いかに体が軽く感じるようにするかが生きるか死ぬかの分かれ道。


正直この稽古メニューだけは避けたい、やりたくないと思うのですが横に涼しげにこなす小学生がいるわけで、大人の沽券にも関わるため悲しいかな続けるしかありません。





しかし、この稽古を続けていくうちに自分自身の変化に気づきます。
それは次のようなことでした。


・すり足の稽古の際、体が安定する。しっかりする。左右や前後の移動でぶれなくなる。

・面打ちや小手打ち、胴打ちの空間打突(素振り)の際、踏み込み足に体重がきっちり乗る。踏み切る際の音が以前より違いが分かるくらい大きくなる。


たったこれだけですが、この「たった」は、実は私がやりたくてもできなかったことでもあったのです。



このブログでも過去に技術的な事柄を散々書いてきましたが、それらは全て「群盲象を評す」の如しではなかったか。

私が見て感じてきたものは、それは「形」に過ぎなかった、あるいは「形」「言葉」に囚われ過ぎていたのではないかと思い始めました。


構えの際のそれぞれの足の位置、形、体重の掛け方。あるいは構えた時の竹刀の握り方や角度、力の入れ具合。打突のメカニズム。
それらは大切なことではあるし守り気をつけるべきことだけど、いつの間にか私は形から入ってしまい、形から入ったことによって核心から自身を遠ざけてきていたのではないかということ。

同時に、私のように大人から剣道を始めた際、上達が停滞する一番の理由がわかったように思えたのです。


それは「体幹」の意識です。
素振り稽古を続けること、そして意識して素振り稽古を行うことで、皆さんそれぞれの自分にあった最適な体のバランスを見つけられるのでは、そう考えます。
転ばずに自転車に乗れるような。



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